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要是我没读过《遇到百分之百的女孩》,《义忆》可能就不会诞生
作者:天闻角川     来源:天闻角川     发布日期:2020-12-08

《义忆》发行纪念 三秋缒采访

『君の話』刊行記念 三秋縋インタビュウ

——首先,请您分享一下《义忆》诞生的幕后故事。

――まずは、『君の話』という物語がどのようにして生まれたかをお教えください。

三秋 接到早川书房的约稿时,一开始我是在考虑完全不同的故事。主角是遭到暴行而患上了闭锁综合征的少年,几年间一直沉睡,在黑暗中度过。然而有一天,少年接上了脑机接口,从此得以操控电脑。经过漫长的训练后,他能够通过电脑完成各种活动,并花费了十年时间在电脑里完全再现了自己的少年时代。少年于模拟的假想世界中回溯时间,试图找到袭击自己的真凶。随着搜查的逐渐深入,少年找到了一名犯罪嫌疑人,只是这名虚拟少女也正好是他所倾慕的对象。当初我构想的是这么一个以科幻、恋爱和悬疑为题材的故事。

三秋 早川書房から執筆のご依頼を受けたとき、最初はまったく別の物語を考えていたんです。主人公は何者かに襲われてLIS(Locked-in Syndrome)になった少年で、数年間ずっと寝たきりで暗闇の中にいたのだけれど、ある日BMI(Brain-Machine Interface)を与えられてコンピュータを操作できるようになる。長い訓練の末にコンピュータ上で行えることは一通りできるようになった彼は、そこから十年かけて自身の少年時代を完全に再現した仮想世界を作り出し、疑似的な時間遡行によって自分を襲った犯人を突き止めようとする。しかし調査を進めるうちに、仮想的存在――しかも、よりにもよって最有力容疑者の少女──に恋をしてしまうというSF恋愛ミステリを構想していました。

马丁·皮斯托留斯创作的自传体小说《失语者》讲述了一名少年前半生的故事,少年因怪病十年间一直陷入植物人状态,外界一直认为他长期没有意识,但一名护工偶然间发现并不是这样,随后少年便能通过脑机和外界进行双向沟通。掌握熟练使用电脑能力的他,最终成功创业、成立了一间网站设计公司。我阅读了这部小说后,发现闭锁综合征、脑机、日益渗透至现代社会的VR技术以及VR中模拟的时间回溯——这四个元素之间非常协调。

マーティン・ピストリウスの『ゴースト・ボーイ』というノンフィクションで、奇病によって十年間一種の植物状態にあった少年の半生が描かれていたのですが、長いあいだ意識がないと思われていた彼は、ある介護士の気づきがきっかけでAAC(Augmentative & Alternative Communication)による外部との意思疎通が行えるようになります。その後コンピュータの扱いに習熟していき、最終的にはウェブデザインの事業を立ち上げるまでに成長するんです。『ゴースト・ボーイ』を読んだことで、LISとBMI、そして社会に浸透しつつあるヴァーチャル・リアリティ、そこで行われる疑似的な時間遡行、この四つはとても相性が良いと気づきました。

然后我写出了故事大纲,却发现对自己而言,创作整个故事的任务过重了。这个故事应该由别人而不是由我来写。不自量力去写的话,可能会糟蹋故事理念本身。我心想着有没有更合适的题材可以发挥,在书架上摆着的科幻小说丛林中徘徊时,灵光一现回想起菲利普·K.迪克的《全面回想》(注:这个故事被收录在《菲利普·迪克短篇小说全集》之中)。可能也是因为自己同一时期刚刚写完回溯少年时代的青春物语,我思绪驰骋“要是自己是那个世界里的居民,会十分纠结该不该购入美好青春时代的记忆吧”。我这么想着的时候,又察觉到那是极具魅力的、再适合自己不过的题材了——不如试着在“对火星的憧憬”(《全面回想》)的故事中,融入村上春树短篇小说《遇到百分之百的女孩》里那种青涩的感伤吧?

そうしてプロットは無事完成したのですが、完成品を見て直観的に、今の自分にこの物語は荷が重すぎると感じたんです。この物語は僕以外の誰かによって書かれるべきだ、と思いました。地力をつけてからではないとアイディアを台なしにしてしまう。もっと相応しい題材はないかと本棚のSFを読み漁っていったとき、ふとフィリップ・K・ディックの「追憶売ります」(編者注:「トータル・リコール」に改題されて、同名タイトルの『ディック短篇傑作選』に収録されています)を思い出して。直前まで少年時代への時間遡行ものを書いていたこともあって、「自分があの世界の住人なら、美しい青春時代の記憶を購入するかどうかで葛藤するだろうな」などとぼんやりと考えました。そうしているうちに、これほど今の自分に適した題材もないと悟ったんです。「追憶売ります」における「火星への憧れ」を、村上春樹の短篇「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子と出会うことについて」(『カンガルー日和』収録)における「100パーセントの女の子」のような青い感傷に挿げ替えたらどうなるだろう、というのは魅力的なifでした。

我初期构想了一名患有情感麻木症的主人公,一种名为“感情教育”医用纳米机器人被植入到他的体内用于治疗,但我转念一想,其实应该将抱有更明确动机的人物设定为主人公,于是琢磨出了青春情结的特效药这么一个直截了当的设定。而接下来诞生的故事,就是《义忆》。

初期の構想では、〈感情教育〉という名の医療用ナノロボットが存在して、感情鈍麻の治療のために「美しい青春時代の記憶」が主人公に植えつけられるという設定でしたが、もっと切実な動機を抱えた人物を主人公にした方がよいと考え直し、青春コンプレックスの特効薬という直球の設定で再度練り直しました。そうして生まれたのが、『君の話』です。

——之前三秋老师在Media Works文库(注:为《恋爱寄生虫》《三日间的幸福》等书的原出版社的文库,简体中文版授权均由天闻角川获得)出版了几部小说,本书是三秋老师首次在早川书房(注:《义忆》原出版社)出版的作品,这次的执笔对您而言有什么新的挑战吗?

――本作は、これまでメディアワークス文庫で活躍されてきた三秋さんの初の早川書房での刊行書籍となります。ご執筆の上で新しくチャレンジされたことはありますか?

三秋 作为逃避理科至今的人,我觉得接下早川书房的约稿可以算是非同寻常的大挑战了(笑)。除此之外的话,就是从女性视角出发写作这一点吧。迄今为止的作品中,我曾试过几次在故事中融入女性视角,但本作多了一个分别由男女主人公的视角构成的大前提,所以我感觉非常新鲜。

三秋 理数系科目から逃げ続けた人生だったので、早川書房からの執筆依頼に応じるというのが何より大きなチャレンジだったと思います(笑)。それ以外で言えば、女性視点でしょうか。これまでにも物語の一部を女性視点から語るという試みは幾度か行っていたのですが、本作は男女それぞれの視点から描きつつ本命は女性視点という構成だったので、とても新鮮でした。

然后我察觉,如果使用异性视角的话,我似乎可以没有顾虑地写出自己的真心话。毕竟将叙事者的思想和作者的思想画上等号的读者还是比较多的,如果以同性视角写作,我总会有点难为情,没办法将自己真正脆弱的部分展露出来,会往细枝末节的地方塞进一些借口;而如果自己通过异性视角来讲述一个故事,“这不是我的想法,而是她的想法”——我发现自己这样就可以“不负责任地”去写作,从结果来看反而可以令真心话跃然纸上。

それで気づいたんですが、異性視点だと照れずに本音を書けるんです。同性視点だと語り手の思想=著者の思想と捉える読者が多いので、どうしても照れが出てしまう。本当に弱い部分を曝け出すことができず、どこかにエクスキューズを置いてしまう。ところが異性を視点人物に据えると、「これは僕の考えではなく彼女の考えだから」と無責任に書けて、結果的には本音が浮き彫りになる、という発見がありました。

——本作中有两个非常重要主题,即记忆(留下记忆)和故事(叙事),三秋老师是怎么理解这两种“现象”的呢?

――本作の重要なテーマとして「記憶(記憶すること)」と「物語(物語ること)」がありますが、それぞれ、三秋さんにとってはどのような「現象」なのでしょうか?

三秋 根据模糊痕迹理论(Fuzzy-trace theory),记忆是由具体的碎片记忆和为记忆碎片赋予意义的要义层级组成的,记忆碎片若是以错误的形式重构,这时就会形成虚假记忆;而我认为“叙事”就是将第三方的记忆碎片掺入这个过程中,有意引发错误的重构。归根到底,其实我们人类本身不就是不断推敲自身故事的生物吗?为平凡无奇的记忆赋予最舒适的解释,时常摸索、试错。认为过去总是更美好,纯粹是因为以前的记忆逐渐历经洗练吧。

三秋 ファジー痕跡理論によれば、記憶というのは具体的な断片の記憶とそれらの断片を意味づける要旨の記憶のレベルに別れていて、この断片が誤った形で再結合したときに虚偽記憶が発生するらしいんですが、ここに他者の記憶の断片まで投入して意図的に誤った再結合を引き起こすことが「物語をつくる」ことだと思うんです。そもそも人間って、自分の物語を推敲し続ける生き物じゃないですか。冴えない記憶に最良の解釈を与えようと、つねに試行錯誤している。「昔は良かった」というのは、今より昔の記憶の方が物語として洗練されているという意味でもあるんでしょう。

反复进行这种重构后,人或许会捕捉到自身故事中所欠缺的致命的一块拼图——在那之前,人可能只会单纯将那种体验看作是“未能得到的东西”,但捕捉到这块拼图之后,人心中会被一种不妥当的失落感所折磨,认为那是“最初便失之交臂的”。我有意将这种不妥当的失落感描绘出棱角并作为《义忆》的主题呈现,算得上是重蹈覆辙地操作着一种受虐式的自导自演吧。

この再結合を繰り返す中で、時に人は自分の物語に致命的に欠けているピースを把握してしまい、それまでは単に「得られなかったもの」だったはずの経験を「あらかじめ失われたもの」として捉えて不当な喪失感に苛まれるようになるんですが、僕はこの不当な喪失感を意図的に創出してそれを小説の題材にする、というマゾヒスティックなマッチポンプを繰り返しています。

——作为作家,您如何理解科学幻想小说这一领域的文学呢?

――作家として、SFというジャンルはどのようなものだと捉えていらっしゃいますか?

三秋 这个问题想必早已被前人充分讨论过了,作为门外汉的我若要简略地表达看法的话,那我认为科幻小说描绘的应该是这么一个领域——向现实投入异物(或是在异世界投入现实)、仿真操作,描绘被异化的世界中凝思后所看到的“未来”。而与此同时,在科幻小说的文学共同体之中也会衍生极具魅力的隐喻和意象,作品彼此间会互文、相互致敬。《义忆》没有将凝思贯彻到底,只是叩问了叙事的感伤性,我觉得是属于后一种类型。

三秋 この問題についてはすでに議論され尽くしていると思うので、あくまで門外漢として素朴にお答えすると、「現実に異物を投入して(もしくは異界に現実を投入して)シミュレーションを進め、異化された世界で徹底的に思索を行った先に見えてくるもの」を描いたジャンル、またそうした作品群から副次的に生まれた魅力的なガジェットを利用したジャンル、ではないでしょうか。『君の話』は思索を徹底せず感傷を突き詰めているので、後者に属していると思います。

——刚才您提到了《遇到百分之百的女孩》,我觉得这部作品是理解《义忆》的关键,您是怎么看的呢?

――先程「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子と出会うことについて」についてお話をいただきました。この作品はラブストーリーでもある『君の話』を理解する上での重要な参考文献かと思いますが、いかがですか。

三秋 要是我没读过《遇到百分之百的女孩》,《义忆》可能就不会诞生了。简单来说,这部短篇作品讲的是主角感到和自己在原宿擦身而过的女孩是“百分之百女孩”,他冥思苦想后得出了一个很跳跃的结论——“莫非只是因为我们失去了记忆,其实我们过去曾是恋人”。这个故事耐人寻味的地方并不在于“命中注定的对象是否存在”,而在于向过去审视“命中注定的对象是否曾经存在”这一点,实在是非常浪漫的思考角度。东浩纪先生(注:日本哲学家,代表作《量子家族》曾获2010年三岛由纪夫奖)曾经说过,“命中注定的对象并不存在,但部分人会感到命中注定的对象应该存在,而经此回溯后产生的幻想,就是世界系小说的本质”。“经此回溯后产生的幻想”的传染源之一正是《遇到百分之百的女孩》,而现在也经由着新海诚老师之笔(*注:指《你的名字。》)在全日本“传染”起来。

三秋「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子と出会うことについて」を読んでいなかったら、本作は書かれていなかったと思います。要約すると、町ですれ違った女の子を「100%の女の子」だと感じた主人公がその理由についてあれこれ考えを巡らせ、「ひょっとしたら僕たちは記憶を失っているだけで、かつては100%の恋人同士だったのではないか」という飛躍した結論を捻り出すという短篇です。この話が面白いのは、「運命の相手がいるのではないか」ではなく、「運命の相手がいたのではないか」と過去に目を向けている点で、こちらの方が遙かにロマンチックなんですよね。「運命の相手なんていない、ただ運命の相手がいるはずだという感覚だけが一部の人にある、そこから遡行的に見いだされるファンタジイがセカイ系の本質だ」という意味のことを東浩紀さんが仰っていましたが、この〝遡行的に見いだされるファンタジイ〟の主要な感染源のひとつが「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子と出会うことについて」で、それが今、新海誠さんを介して日本中に広まっているように感じます。

《义忆》的理念正是来自“经此回溯后产生的幻想”,除此以外,直面“Heroine”这一概念带来的宿命般缠绕的欺瞒矛盾也是本作的主题之一。偏爱自己、无条件倾慕自己、为了爱将一切都奉献给自己的人——这样的对象不应存在,不过我执笔时经常会想,要是阴差阳错之下,“Heroine”真的出现在了某个人的眼前,这会衍生出怎样的故事来呢?因此,本书曾命名为《Heroine》。

『君の話』もまさにこの〝遡行的に見いだされるファンタジイ〟について書いた作品です。またそれだけではなく、「ヒロイン」という概念に宿命的につきまとう欺瞞や矛盾と向き合うことをも主題としています。自分を都合良く好きになってくれる人、無条件に愛してくれる人、その想いのためにすべてを捧げてくれる人、そんな人がいるはずない。でも何かの間違いでそんな「ヒロイン」が誰かの前に現れることがあるとしたら、そこには一体どのような物語が見出されるべきか、という問いが執筆中常に頭の中にありました。だから、本作の仮題は『ヒロイン』だったんです。

——您的作品获得了十几二十岁年轻读者的热烈支持,您自身是怎么看待这一点的呢?

――十代~二十代の読者からの熱い支持に関しては、ご自身ではどのように捉えていらっしゃいますか?

三秋 我只是将自己十多岁时想读到的故事创作出来而已,我想阅读这种题材的,这种风格讲述的故事,相当于亲手实现了当时自己的愿望而已。本该只是满足一个人愿望的作品,结果却满足了数以万计的读者,我大概就是这么一种感觉吧。

三秋 僕は自分が十代の頃に読みたかったものを書いているだけなんですよね。こういう題材をこういう風に扱った本を読んでみたい、という当時の願望に自分自身で応えている。一人のニーズを完全に満たすものって、結果的には万単位のニーズを満たすことになるので、なんというか、そういうことではないかと思います。

——今后,您想成为怎样的作家,写出怎样的作品呢?如果您有打算挑战的科幻题材或者世界观,请您和我们分享一下。

――今後、どういう作家になり、どういう作品を書いていきたいとお考えでしょうか? チャレンジしてみたいSF的なテーマやモチーフがあれば、是非お聞かせください。

三秋 我想继续做一个写出自己想看的内容的作家。我从未在迄今为止的执笔中萌生过义务感,今后也想继续保持这种心态。要是为了某个人,或是整个社会创作文学,那么我的叙事就会失去独特的色彩吧。我希望为自己而创作的百分之百作品,能够偶然之下成为某位读者的珍藏之物吧。

三秋 自分の読みたいものを書く作家でいたいですね。これまで執筆を義務のように感じたことは一度もありませんし、これからもそうあり続けたいです。誰かのため、社会のためなんかに書いたりしたら、僕の書く物語は一気に色彩を失うんじゃないでしょうか。100%自分のために書いた物語が、偶然誰かにとっての宝物になればいい。そう思います。

原刊载于S-F Magazine 2018年8月号

SFマガジン2018年8月号掲載

https://www.hayakawabooks.com/n/ncecdb79b6f17